税理士事務所の引き継ぎで「やってはいけないこと」6選
- 菅原 良平

- 6月23日
- 読了時間: 7分
-所長の“引き継ぎ判断”が未来を左右する-
税理士事務所の引き継ぎは、所長にとってキャリアの集大成ともいえる重要なプロセスです。長年培ってきた事務所の信頼、顧客との関係、従業員の雇用、そして自身の人生設計を左右する大きな決断になります。しかしその一方で、「何をすべきか」ばかりに意識が向き、「やってはいけないこと」に無自覚なまま進めてしまうケースも少なくありません。
実際、税理士事務所の承継がスムーズにいかず、顧客離れや職員の退職、最終的な廃業に追い込まれる事例もあるのです。その多くは、些細な“判断ミス”の積み重ねが原因であり、少しの注意で回避できるものでした。
この記事では、税理士事務所の所長が引き継ぎの際に陥りやすい「やってはいけないこと」を6つ厳選してご紹介します。後悔しない引き継ぎのために、そして事務所の未来を守るために、ぜひ最後までお読みください。

1. 後継者に「無条件で継げ」と迫る
「長男だから」「身内だから」「資格を取らせたから」——そんな理由だけで、所長が後継者に事務所を“無条件で”押しつけてしまうケースは意外と多いものです。しかし、引き継ぎとは「引き継がれる側の意思」が何より重要です。強制的な継承は、遅かれ早かれ破綻を招きます。
特に税理士業界は、所長のカラーが強く出やすい業種です。営業方針、顧客対応、職員との関係性、地域社会との関わり方など、「所長のやり方」が事務所文化に根付いていることも多く、それが後継者の自由な経営を阻害する場合があります。
継ぎたくない理由を無視して、感情論や義務感だけで継承を迫れば、後継者は燃え尽きてしまいかねません。最悪の場合、数年で辞める、事務所を閉じる、という結末もありえます。
本来、所長が果たすべきは「継がせる」ことではなく、「継ぎたいと思わせる」ことです。十分な情報提供、経営への段階的な関与、権限移譲の仕組みなど、後継者の理解と納得を得られるプロセスが不可欠です。
どうしても身内に後継者が見つからない場合は、第三者承継やM&Aという選択肢も検討すべきです。「無条件で継げ」と迫ることは、事務所の未来の可能性を狭めるだけでなく、所長自身の評価も下げてしまうリスクがあることを忘れてはなりません。
2. 「業務の属人化」に気づかないまま承継する
税理士事務所の多くは、所長本人に業務が集中している「属人化」の状態にあります。特に中小規模の事務所では、営業、業務管理、顧客対応、職員マネジメントまで、すべてを所長一人でこなしていることも珍しくありません。
このような状態で承継を進めれば、後継者は何をどう引き継げばいいのか分からず、事務所は混乱に陥ります。顧客情報が頭の中にしかない、業務フローが曖昧、職員の役割分担が不明確——このような属人化は、承継のボトルネックです。特に注意すべきは、所長自身が「自分がいなくても回る」と思い込んでしまっているケースです。属人化に無自覚なまま承継を進めてしまうと、顧客や職員が所長の不在に戸惑い、信頼を失う原因になります。
解決の第一歩は、「見える化」です。顧客台帳、業務マニュアル、年間スケジュール、職員の業務範囲などを整理し、誰が見ても分かる形に落とし込むことが求められます。また、所長が抜けた後も業務が継続できるような体制の整備が必要です。これらはM&Aで第三者に引き継ぐ場合にも極めて重要です。属人化の強い事務所は買い手が敬遠しやすく、評価額も下がる傾向にあります。所長が自ら「自分でなければ回らない仕組み」を温存してしまうのは、承継において最大の落とし穴といえるでしょう。
3. 「顧客への説明」を後回しにする
税理士事務所の顧客は、所長との信頼関係で成り立っているケースが大半です。したがって、承継やM&Aのタイミングで顧客に十分な説明を行わないことは、大きなトラブルの火種となります。実際、事前説明が不十分なまま後継者を紹介した結果、「話が違う」「信頼できない」と感じた顧客が離れていったという事例も多くあります。最悪の場合、競合他社へ乗り換えられ、長年の関係が一瞬で途切れてしまうことも。所長が「言いにくいから」「落ち着いてから話そう」と考えてしまう気持ちは理解できますが、顧客にとっても突然の変化は大きなストレスです。特に法人顧客においては、担当税理士の変更は経営上のリスクとして捉えられがちです。
だからこそ、所長自らが早い段階で誠実に説明することが重要です。引き継ぎの背景、後継者のプロフィール、今後のサポート体制などを丁寧に伝え、必要であれば一緒に訪問して面談を設けることも効果的です。
M&Aによる第三者承継の場合も同様です。「買い手が決まってから説明する」のではなく、「検討段階から関係性を構築する」姿勢が求められます。所長の言葉が、顧客の不安を払拭し、信頼を後継者へと橋渡しする鍵となるのです。
4. 「従業員の不安」を放置する
承継にあたって、もう一つ見落とされがちなのが「従業員の心情」です。所長は「事務所の未来」を考えて判断を下しているつもりでも、従業員にとっては「自分の働き方や雇用がどうなるのか」が最大の関心事です。
実際、承継プロセスで説明不足のまま進めてしまい、優秀なスタッフが不安から退職してしまったというケースも後を絶ちません。特にM&Aを選択する場合は、「新しい経営者はどんな人か」「給与や待遇に変化はあるのか」「人間関係はどうなるのか」といった疑問や不安を、従業員が抱えるのは当然のことです。
所長としては、「決まったら伝えればいい」と思いがちですが、それでは信頼を失います。大切なのは、早い段階から情報を共有し、双方向の対話を重ねることです。
また、従業員がM&Aに協力的であることは、引き継ぎの成功に直結します。職員の協力が得られない事務所は、買い手から見てもリスクが高く、M&Aの成立そのものが難しくなる場合もあります。所長は、従業員を「巻き込む」のではなく、「共に進める」意識を持ちましょう。日々支えてくれた仲間の不安に寄り添い、未来への希望を共有する姿勢が、良い承継の土台となります。
5. 「M&Aの選択肢」を最初から否定する
税理士事務所の承継と聞くと、今でも「親族か職員への継承」が主流と考えている所長は多いかもしれません。しかし、現実的にはその選択肢が通用しないケースが増えています。後継者不在、人材不足、経営の引き継ぎ難など、事務所の事情は多様化しています。
こうした背景の中、M&Aによる第三者承継は、税理士事務所でも急速に広がりつつあります。それでもなお、「M&Aなんて他人に売るようなもの」「自分の事務所は買ってもらえるはずがない」と、頭ごなしに否定する所長も少なくありません。
しかし、M&Aは単なる「売却」ではありません。むしろ、「事務所の理念や顧客を未来につなげるための手段」です。信頼できる買い手と出会えれば、従業員の雇用も守れ、顧客にも安心感を与えることができます。しかも、所長自身がアドバイザーとして一定期間関わるという柔軟な働き方も可能です。
M&Aの価値は、「最後の手段」ではなく、「前向きな選択肢」として捉えることです。否定から始めてしまえば、せっかくのチャンスも逃してしまいます。視野を広げ、情報を集め、専門家と相談することで、新たな道が見えてくるかもしれません。
6. 「報酬だけ」でM&A仲介会社を選ぶ
M&Aを検討する際、所長が最も悩むのが「どの仲介会社に依頼すべきか」という点です。実際、報酬体系や手数料の違いにばかり目が行き、「とにかく安く済むところ」で決めてしまうこともあります。もちろん、報酬は大切な判断基準ですが、それだけで選んでしまうのは危険です。仲介会社には、業界知識、実績、対応力、ネットワーク、そして何より所長の思いを汲み取る“人間力”が求められます。
報酬が安くても、的外れな買い手ばかり紹介されたり、対応が遅かったり、顧客への説明支援が不十分だったりすれば、M&Aは失敗します。逆に、多少費用がかかっても、事務所の理念に共感してくれる買い手を見つけてくれる仲介会社なら、それ以上の価値があります。
特に税理士事務所のM&Aは、一般的な企業M&Aとは異なる配慮が必要です。所長の引退後も事務所が円滑に運営されるよう、顧客や従業員との関係性を重視するマッチングが求められます。
信頼できる仲介会社は、所長と買い手との間に立ち、心理面や事務的な課題まで丁寧に調整してくれる存在です。報酬だけで判断するのではなく、パートナーとして信頼できるかどうかを最重視しましょう。
7. まとめ:未来のために、今できることを
税理士事務所の引き継ぎは、所長の「最終経営判断」とも言える大きな決断です。その中で最も重要なのは、「未来に責任を持つ」姿勢です。今回ご紹介した「やってはいけないこと」は、いずれも少しの配慮と準備で回避できる内容ばかりです。逆に言えば、それを怠ることで、これまで築いてきた信頼や実績が一瞬で崩れてしまう可能性もあるのです。
「後継者をどうするか」「M&Aを視野に入れるか」「いつどんな形で説明すべきか」——こうした課題に対し、早めに行動することが最大のリスク回避となります。所長としての役割を全うし、次の世代にバトンを渡すために。この記事がその第一歩となれば幸いです。





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