税理士法人経営の実務的視点 ― M&A・制度疲労・顧問先保護への対応
- 小杉 啓太

- 10月17日
- 読了時間: 6分
税理士法人をはじめとする士業法人は、顧問先の信頼を前提に業務を遂行するため、高い透明性と継続性が求められます。その一方で、法人内部の制度設計を誤ると、外部リスクよりも内部対立こそが顧問先への最大の危機となり得ます。特に、社員間の関係や業務範囲の設定を曖昧にしたまま税理士法人運営を続けると、競業避止義務や持分関係、定款目的などが原因となって紛争へ発展するケースが見られます。
税理士法では、「社員が自己または第三者のために法人の業務範囲に属する業務を行うことを禁止しています。」定款の目的に「会計業務」や「経営助言」などを広く記載している場合、社員個人が会計法人や他の関連会社の役員となると、この競業禁止に抵触するおそれがあります。法令上の「業務範囲」の定義が曖昧であるため、実際の業務分担契約や定款の文言解釈が極めて重要となります。顧問先との契約も「税務業務」と「会計業務」を明確に区分し、三者(顧問先・税理士法人・会計法人)間の契約形式を取ることがリスクヘッジにつながります。
さらに、認定支援機関制度との関係では、会計帳簿の記帳代行を完全に外すと登録要件を満たさない場合があります。形式だけで目的条項を削除するのではなく、業務実態との整合性を保ちながら、定款や委託関係を設計する必要があります。形式論よりも「顧問先を守るためにどのような運用が可能か」という観点から、制度設計を見直すことが求められます。
税理士法人の構造的リスクは、外部訴訟よりも内部統制の欠如から生じることが多いです。社員間の判断が割れた際に、代表社員の決定権をどの範囲で強化できるか、また社員の加入・社員の退社・持分譲渡をどのルールで認めるかは、経営安定に直結します。日税連モデル定款では「総社員の同意」が原則とされていますが、これは合名会社的性格ゆえに柔軟性に欠けます。実務上は、これを「過半数決議」や「出資額比例投票」に置き換えることで、スピーディーな意思決定を可能にする設計が望ましいです。
社員報酬の決定方法も重要な論点です。原則として一方的な減額はできないため、定款や就任承諾書に「決議に基づき変更できる」旨の合意を明記しておく必要があります。これを怠ると、経営方針転換時の報酬調整をめぐり、法的紛争が生じるおそれがあります。利益配当や定款変更も同様に、会社法の準用関係を理解したうえで、出資額ベースか人頭ベースかを明確にしておくことが重要です。
また、社員の退社・除名時には、持分払戻請求権の評価方法が税務・法務の両面に影響します。原則として退社時点の純資産評価額が基準とされますが、これを定款で別途定めることも可能です。ただし、評価を低く設定するとみなし贈与リスクが生じるため、実務上は入社時の出資額で調整するなど、事前設計で整合性を保つ対応が求められます。
多くの税理士法人が設立から10年以上を経て、「制度疲労」に直面しています。設立当初の定款や内部規程がそのまま残っており、現実の業務拡大や社員構成の変化に対応しきれていない事例が多いです。特に代表社員の高齢化や事業承継を考える場合、社員税理士の処遇や職務権限、報酬体系を放置すれば、組織運営が硬直化しかねません。
まず実施すべきは「現行定款と実態の整合性確認」です。業務範囲、議決権配分、社員退社時の対応など、モデル定款の内容が現行の経営方針に合っているかを確認することが第一歩です。次に、顧問契約書や社内覚書を点検し、法務と税務が交錯するリスクを減らします。たとえば、社員が複数事務所を兼務する場合や、会計法人を併設している場合には、利益相反取引や競業問題を防ぐための内部合意書を整備することが有効です。
また、社員同士の信頼関係を高めるための定期的なミーティングや、意思決定手続きの透明性確保、若手税理士の育成方針策定も重要です。会計法人や他士業法人との連携フローを明確化し、万一トラブルが発生した際にも迅速な対応ができる体制を整えることが現場ではより強く求められています。
近年はデジタル化の流れが急速に進み、契約の電子締結や業務のクラウド化、リモートワーク体制の構築など、従来の常識を超えた課題にも柔軟な対応が必要となっています。新しい働き方に適した定款や内部規程の整備も、今やリスクマネジメントの重要な一端です。
制度疲労は表面的には「組織の慣れ」として見過ごされがちですが、放置すれば決定権の不明確さや責任分担の曖昧さが深刻化し、最終的には顧問先への信頼低下を招きます。今後は税理士法人のガバナンス整備が競争優位を左右します。制度を「変えること」に抵抗があっても、「維持すること」こそが最大のリスクです。定款を“生きたルール”として機能させる視点が求められます。
近年、税理士法人間のM&Aは増加傾向にあります。その背景には、代表者の高齢化や人材確保難、事業承継需要の高まりがあります。M&Aは単なる“出口”ではなく、雇用や顧問契約の継続を守るための「次代への橋渡し」として機能させることが可能です。ただし、士業法人特有の法的制約を理解していないと、想定外のリスクを招くことになります。
税理士法人は合名会社に準じるため、社員の持分譲渡や退社には他の社員の承諾が必要です。このため、M&Aを実施する際は、
(1)社員同意の取得
(2)持分評価の合理的基準
(3)会計法人など関連会社との契約整理
の3点を事前に整えることが不可欠です。また、譲渡価額を恣意的に設定すると、残存社員や後継者側にみなし贈与課税が発生するおそれがあります。
実務では、社員や職員の退社・譲渡に伴って退職金を支給するケースも多く見られますが、これも就業規則や定款上の根拠を明記しておくことが必要です。さらに、代表社員の死亡は自動的に退社事由となるため、持分払戻請求権が発生し、その評価額が相続税の課税対象になります。死亡退職金の支給を定款に明示しておくことで、税務面での整理が容易になります。法務・税務・会計の三位一体で「出口戦略」をデザインすることが、成功するM&Aの条件です。
税理士法人を取り巻く制度環境は年々複雑化しており、形式的な設立時の定款や規程だけでは安全とはいえません。競業避止義務や社員報酬、利益配当、持分評価など、あらゆる部分に法務と税務のリスクが潜んでいます。真のリスクマネジメントとは、トラブル発生後の「事後対応」ではなく、制度や契約を「事前に設計」しておくことです。
さらに、クライアントの事業規模拡大や海外展開などにより生じる複雑な税務・法務課題にも、他士業や外部専門家と連携して対応することで、より実践的な提案や的確な問題解決力が求められる時代となっています。常に顧問先の立場に立った提案や、将来を見越した制度設計が信頼される税理士法人経営の礎となります。
今後も税理士自らが知識をアップデートし、業界の動向や実務の最新トレンドを取り入れる姿勢を持つことが、安定した法人運営と顧問先保護の両立につながります。制度を単なる“守り”のツールとして捉えるのではなく、成長と変革の“攻め”の仕組みとして活用することが、次世代の税理士に求められる実務対応といえます。




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