税理士事務所M&Aの実態と成功の条件:合併・譲渡・承継のリアルと本質
- 小杉 啓太

- 11月14日
- 読了時間: 6分
近年、税理士業界では事務所の合併・譲渡・承継といったM&Aの動きが急速に増えています。少子高齢化と人材不足を背景に、税理士が「どのように事務所を続けるか」を真剣に考える時代が到来しました。本記事では、実際の現場から得られた具体的事例をもとに、税理士事務所におけるM&Aの実務と留意点、そして成功のための本質を紹介します。
税理士事務所のM&Aというと、「引退」「売却」「経済的メリット」といったイメージを持つ方が多いかもしれません。しかし、実際の現場でM&Aに踏み切る税理士の多くは、決してお金だけを目的としていません。背景にあるのは、地域に根ざした事務所として「どうすれば安定した形で業務を継続できるか」という現実的な課題です。
全国的に税理士の高齢化が進み、特に地方では後継者を確保できず、優秀な職員の採用も難しい状態が続いています。ある60代の税理士は、将来に不安を感じながらも「事務所を信頼できる相手につなぐことが職員と顧問先への責任だ」と判断し、事業譲渡を選択しました。譲渡後は社員税理士として新法人に残り、顧問先と職員を見守りながら活動を継続しています。別の事例では、支店長が病気によって運営が困難になり、支店単位で他法人に譲渡することで職員の雇用と顧客対応を維持しました。
こうした実例が示すように、税理士事務所のM&Aは「やめる決断」ではなく、「どう続けるか」を模索する手段です。M&Aを通じて経営を共に支える仲間を得ることで、所長の精神的負担や孤立が軽減され、顧問先サービスの質も向上する傾向があります。税理士にとって最も重要なのは、数字ではなく信頼の継承です。M&Aはその信頼を次世代へ橋渡しするための最も現実的な方法といえます。
税理士事務所のM&Aには、個人事務所(会計法人の有無)・税理士法人という形態の違いに応じて、合併、事業譲渡といった複数の方式があります。実際の現場で最も多く採用されるのは「事業譲渡」です。これは、顧問先契約や職員雇用のみを引き継ぐスタイルで、リスク管理と機動性の両立が期待できます。一方で、税理士法人同士の合併は、税賠(税務賠償)リスクを承継する点や貸借対照表の項目を引き継ぐ煩雑さがネックです。たとえば、合併後に社員税理士が独立する際、持分を時価で買取らねばならないケースがあり、譲受側のリスクが大きくなります。
事業譲渡であれば、こうした負担を回避しつつ、人と顧問先の関係性を維持できます。実際、税理士法人への支店成り時には、譲渡側の所長が社員税理士として残り、報酬体系を役員報酬に切り替える事例が多いです。報酬は譲渡前所得の70〜80%を基準に設定され、引継ぎが進むにつれ段階的に減額していく仕組みとされます。複数年にわたって報酬を分割で受け取る「報酬上乗せ」型のスキームを採用すれば、税効率のいい受け取り方と安定収入の両立も可能になります。
こうした取り組みの狙いは、税理士としての社会的使命を持続させることにあります。顧問先・職員・地域への責任を果たしつつ、円滑な承継を実現する。そのための柔軟な選択肢が、税理士における事業譲渡(M&A)なのです。
税理士事務所のM&Aでは、契約条件よりもその後の運用設計が成否を決めます。譲渡後のトラブルの多くは、労務・制度・ITなどの細部調整の不足によって生じます。まず、職員の雇用条件は引継ぎ後も不利益変更を避け、少なくとも1年間は旧体制のまま運営するのが望ましいです。これにより、離職リスクを防ぎ、顧問先へのサービスも途切れません。所長の役員報酬の設定では、譲渡前所得の7〜8割を基準とし、数年後にに漸減する方式が多く採用されています。
顧問契約や収納代行サービスの名義変更では、銀行手続きやシステム調整に3か月以上を要することがあるため、早期に計画を立てておくことが必要です。さらに注目すべきは、税理士特有の制度的留意点です。税賠保険は、契約延長特則を利用して10年間の補償を維持できる場合があるほか、IT導入補助金を利用して購入した会計ソフトは、譲渡後も同ソフトを使用する限り返還不要となるケースが多いです。
退職金制度では、中退共を利用していた事務所が譲渡後の法人制度に統一される場合、掛金の相当額を給与上乗せとして再設定した例もあります。こうした一つひとつの確認が税理士事務所M&Aを支える基礎となります。譲渡後の「実務が回る状態」を作るための準備こそ、最も重要な成功要因といえます。
税理士事務所のM&A成功の鍵は、準備期間の長さと理解の深さにあります。初回相談から譲渡実行まで平均で1年前後を要し、その間の「相手選定」「意識共有」「信頼醸成」が重要なプロセスとなります。候補調査では、地域・売上規模・有資格者数・職員構成・使用システムなどを多角的に分析し、文化的な相性まで確認します。Web面談での印象よりも、面談や会食などで感じる人間同士の「空気感」が最終判断を左右する要素です。
事業譲渡契約書には、役割(所属税理士か社員税理士か)、報酬、在任期間、持分割合などを事前に文書化します。特に職員関係の配慮は重要で、譲渡2か月前には顔合わせを実施し、双方の代表が同席して安心を提供します。顧問先への案内も工夫が必要で、従来型の「統合通知書」ではなく、「新体制でより高度な税務支援を提供する前向きな取り組み」として説明することで、信頼を損なわずスムーズに移行できます。
実際にこのプロセスを丁寧に進めた事例では、顧問先の離脱も職員の退職も発生しませんでした。シナジーは「事務所同士の融合」ではなく、「人同士の信頼」で生まれます。税理士同士が理念を共有し、新たなパートナー関係を築いていく過程こそ、M&Aを真の成功に導く道なのです。
M&Aが失敗に終わる原因の多くは、準備不足と信頼構築の欠如にあります。ある譲受側の税理士法人では、譲渡後に初めて職員へ説明を行った結果、不安を抱いた職員が全員退職し、売上が半年で半減したという例もあるそうです。このような事例では、事前に職員や顧問先への配慮が欠けていたことが明白です。M&Aを円滑に進めるためには、内密に進行させるよりも、適切な時期に誠実な説明を行い、互いに顔を合わせて理解を深めることが不可欠です。
一方、成功した事例では、所長同士が「信頼関係を最優先」に据え、譲渡実行の数か月前から合同で勉強会や懇親会を行いました。その結果、譲渡後も顧問先から「おめでとうございます」と祝福され、紹介契約が増加しています。「人がすべて」と言われる税理士業界だけに、税理士事務所のM&Aは相手を理解し、愛着をもって引き継ぐ姿勢が最も大切です。
税理士にとってM&Aは、引退や縮小のための決断ではなく、経営の質を高める選択肢です。共に支え合う仲間を得て、事務所がより強固な組織へと進化することが最終的な理想形です。「目的と愛」――この二つを軸に、誠実な準備と丁寧な承継を重ねることが、税理士事務所M&Aの真価を発揮する唯一の道だといえるでしょう。





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