“人が採れないなら事務所ごと託す”という発想──譲渡型承継のメリットと準備
- 菅原 良平

- 6月27日
- 読了時間: 7分
税理士業界はいま、かつてない人材難に直面しています。特に所長として長年事務所を牽引してきた方にとって、「後継者が見つからない」「若手が育たない」という課題は、現実味を帯びた深刻な問題です。かつては親族や職員の中から後継者を育てることが一般的でしたが、現在ではそうした道筋すら描けないケースも増えています。所長自身が高齢を迎えているにもかかわらず、後を託せる存在が見つからず、時間だけが過ぎていくという不安を抱える方も少なくありません。
職員にも顧問先にも恵まれ、地域からの信頼も厚い事務所であっても、「この先、誰が継ぐのか?」という問いに明確な答えが出せずに、最終的に廃業という苦渋の決断を下す所長も増加傾向にあります。そうした中で、いま静かに注目を集めているのが「譲渡型承継」という新たな選択肢です。
M&Aを活用して、第三者に事務所を譲渡するという方法は、かつては一部の大型事務所に限られた話と思われていました。しかし現在では、中小規模の事務所においても十分に現実的な選択肢として広まりつつあります。所長が築いてきた理念や顧問先との関係、職員との信頼関係など、単なる“売却”ではなく“想いごと引き継ぐ”ことができるのが、譲渡型承継であり、M&Aの本質的な価値でもあります。
とくに近年では、M&Aに関する支援体制や専門仲介業者も整備されてきており、所長が自ら動き出せば、自身の意向に合った相手と出会える可能性も高まっています。従来の「継がせる承継」ではなく、「託す承継」へ時代の変化に合わせて、所長が主体的に選択肢を持つことが求められています。

1.人が採れない時代、
税理士事務所が直面する採用難の現実
かつて、税理士事務所にとって所長が悩む最大の課題は「育成」でした。しかし現在では、それ以前の「採用」が大きな壁となっています。有資格者の数自体が減少しており、加えて税理士試験の受験者数も右肩下がり。これは、試験制度の厳しさだけでなく、職業としての魅力が十分に伝わっていないことにも起因しています。
特に地方の税理士事務所では深刻です。都心部に比べて人材が集まりにくく、仮に採用できても定着率が低い。こうした状況では、所長が一人で事務所を切り盛りし続けるケースも珍しくありません。若手の採用どころか、既存職員の退職で業務が回らなくなるリスクも増しています。
さらに、採用活動自体がコストとリスクを伴う時代になりました。求人広告の費用や紹介会社への報酬は決して安くなく、成果が保証されるわけでもありません。面接を重ねてもマッチする人材が見つからない。ようやく採用できたとしても、所長が「この人に任せられる」と思えるまでには長い時間と手間がかかります。
このように、今や“採用”が難しくなっている時代に、所長として現実的な将来設計を描くには、これまでとは異なる視点が求められています。
2.“育てて残す”から“託して残す”へ
──譲渡型承継という選択肢
従来の税理士事務所承継といえば、「内部育成」が主流でした。若手職員や家族が税理士資格を取り、徐々に所長の業務を引き継いでいくというスタイルです。しかしこの方法は、時間・資金・人材の三拍子が揃って初めて機能するものであり、今の時代にはそぐわない場面も増えています。
そこで注目されているのが、「譲渡型承継」という新たな選択肢です。これは、税理士事務所を第三者に譲渡することで、後継者が見つからない場合でも事務所の継続を可能にする方法です。一般に「M&A」と表現されることも多く、買い手となるのは他の税理士法人や会計グループ、あるいは資本を持つ企業などです。
重要なのは、「譲渡」と聞いて「売却」という単語だけを連想しないことです。譲渡型承継の本質は、「想いも託す」という点にあります。所長が築いてきた顧問先との信頼関係、職員の雇用、そして事務所の文化や理念。これらを、別の税理士法人や運営主体に承継してもらうことで、所長の「遺す」という意志を実現するのです。
この新しい承継の形は、「育てて残す」ことが難しい時代にこそ、現実的かつ有効な手段となります。
3.譲渡型承継のメリット
──所長・職員・顧問先、三者にとっての最適解
譲渡型承継には、関係者全員にとって大きなメリットがあります。まず所長にとっては、引退計画を明確に描けるという点が大きいです。特に60代後半〜70代で事業承継を検討している所長にとって、「引退後の生活設計」や「資産形成」は非常に重要です。譲渡によりまとまった対価を得ることで、安心して次の人生ステージに進むことができます。また、段階的な引退(例えば譲渡後も数年は顧問として関与するなど)も可能で、無理なくバトンタッチする仕組みが整っています。
職員にとっては、雇用継続の可能性が高い点が安心材料となります。譲渡型承継では、事務所ごと移管されるケースが多く、従来の就業環境を維持したまま新体制に移行できます。待遇や業務内容も大きく変わらず、「突然廃業」「突然リストラ」といった不安が軽減されます。
そして顧問先にとっても、サービスの継続性が確保されることは極めて重要です。長年付き合ってきた税理士事務所がなくなることへの不安は大きく、それを避けられるだけでも譲渡の価値は高いと言えるでしょう。譲渡先がしっかりとした体制の税理士法人であれば、より専門的な支援を受けられる可能性も広がります。
このように、所長・職員・顧問先の三者全てにとって、譲渡型承継は「最適解」となり得るのです。
4.実際に譲渡を考えるなら──準備に必要な視点と行動
譲渡型承継を成功させるには、計画的な準備が不可欠です。何より重要なのが、「見える化」です。財務状況、顧問先の構成、職員体制など、事務所の現状を数値と資料で整理しておくことが、譲渡交渉の第一歩になります。M&Aの交渉においては、信頼性ある情報開示が鍵となります。
次に、経営情報の棚卸しを行うことも大切です。顧問先の業種別比率や収益構造、職員のスキルなど、事務所の強みと弱みを客観的に把握しましょう。譲渡先に事務所の価値を伝えるためには、こうした「中身の整理」が不可欠です。
また、所長がすべてを一人で行う必要はありません。M&A仲介会社や、会計事務所専門の承継アドバイザーの活用も有効です。彼らは市場の動向や事務所の価値評価に精通しており、最適な譲渡先の選定や契約のサポートも行ってくれます。信頼できるパートナーとともに準備を進めることで、所長にとっても安心感が生まれるはずです。
5.M&Aという手段で“託す”
──税理士事務所の譲渡市場と動向
近年、税理士事務所のM&Aは明確に「売り手市場」となっています。とくに、地方の中堅規模の事務所はニーズが高く、後継者難に直面する所長の声に応える形で、大手法人や税理士事務所による買収ニーズが増加しています。
M&Aにおける譲渡先の選定は極めて重要です。候補先の企業文化や理念、地域性、専門性など、事務所の色に合う相手を見極めることが、職員・顧問先双方の満足度に直結します。譲渡先には、大手グループ化を進める法人、地域密着で展開する税理士事務所、あるいは資本系コンサルティング企業など、さまざまなタイプがあります。
また、M&Aは単に“終わり”を意味するものではありません。所長自身が譲渡後も顧問やコンサルタントとして関与し続けるケースもあり、「第2のキャリア」としてのM&A活用も増えています。体力的に現場を退いても、知見を活かして関与できるのは、所長にとっても新たなやりがいとなるでしょう。
6.まとめ
税理士事務所の将来を考えるとき、所長がもつべき視点は「残す」という視点です。「続けたい」気持ちだけでは、採用難・人材流出という現実には立ち向かえません。むしろ、「どう残すか」を考えることで、より戦略的かつ実現可能な承継計画が描けます。
譲渡型承継は、そんな所長の思いを実現するための“選択肢”のひとつです。従来の後継者育成型だけにこだわらず、M&Aという手段も視野に入れることで、事務所の未来をより広く設計することができます。
最も大切なのは、所長自身が最後まで主体的に考えることです。誰かが決めてくれるのではなく、自分で選ぶ。職員や顧問先への責任感と愛着をもって、「この事務所をどう遺すか」を考えることが、成功する承継への第一歩となります。





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