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引退後の人生設計から考える税理士事務所のM&A

  • 執筆者の写真: 小杉 啓太
    小杉 啓太
  • 5 日前
  • 読了時間: 6分

 弊社にご相談をいただくケースでは、職員の雇用継続や顧問先の引継ぎを最優先にお考えの所長が多くいらっしゃいます。長年ともに歩んできた職員や顧問先に対する責任感は、税理士事務所の所長として当然のものです。


 そのため、多くの所長は、それらを実現できる相手先の選定や条件交渉に注力します。実際、誰に引き継ぐか、どのように引き継ぐかという視点は、税理士事務所のM&Aにおいて極めて重要な要素です。


 しかし今回は、あえて少し視点を変え、「所長である税理士ご自身の引退後」にフォーカスして考えてみたいと思います。



 近年、多くの税理士事務所が直面している課題の一つが後継者不在です。長年にわたり顧問先との信頼関係を築き、組織を育ててきたにもかかわらず、引き継ぐ人材がいない。この状況の中で、選択肢として現実味を帯びてきているのが、税理士事務所のM&Aです。


 しかし、ここで一つ大きな誤解があります。それは、M&Aを「問題解決の手段」としてのみ捉えてしまうことです。つまり、「後継者がいないから仕方なくM&Aをする」という発想です。この考え方のままでは、納得のいく意思決定は難しくなります。


 なぜなら、判断基準が常に「過去」に引っ張られるからです。例えば、「これまでこれだけ頑張ってきたのだから、このくらいの評価をして欲しい」「この事務所の価値はもっと高いはずだ」といった思考です。税理士としての誇りがあるからこそ、こうした感情は自然です。しかし、それだけでは、本当に満足できる選択にはつながりません。


 さらに言えば、この「過去基準」の思考は交渉の場面でも不利に働くことがあります。相手は将来の収益や組織の成長性を見ているのに対し、自分はこれまでの努力や歴史に価値を置いている。この視点のズレが、納得感のない結果を生みやすくするのです。


 本来、税理士事務所がM&Aを検討する際に重要なのは、「引退後、どのように生きていきたいのか」という視点です。言い換えれば、「M&Aの先に何を実現したいのか」という未来の設計です。この視点がないまま交渉に入ると、価格や条件に振り回され、結果として後悔を残す可能性が高まります。


 税理士という職業は、社会的にも責任が大きく、日々の業務に追われやすい仕事です。そのため、自分自身の将来についてじっくり考える機会は多くありません。しかし、だからこそ、あえて立ち止まり、「自分はこの先どう生きたいのか」を考えることが重要になります。


 引退後のイメージを持つことは、単なる理想論ではありません。それは、M&Aという大きな意思決定において、ぶれない判断軸を持つための実務的な準備なのです。所長が納得のいく形で事務所を譲渡するためには、まず「その後の人生」を具体的に描くことが不可欠です。



 税理士事務所のM&Aを進める際、必ず直面するのが「条件の選択」です。譲渡価格、対価の受け取り方法、職員の処遇、顧問先の引継ぎ方法など、検討すべき項目は多岐にわたります。これらの条件をどう判断するかによって、M&Aの満足度は大きく変わります


 ここで重要になるのが、「人生設計」という視点です。所長自身が引退後に何をしたいのかによって、最適な選択は大きく変わります。さらに言えば、この視点は交渉の場面でも大きな力を発揮します。自分の軸が明確であれば、条件に一貫性が生まれ、相手に対しても説得力のある判断ができるようになります。


 また、人生設計が明確であるほど、不要な迷いが減るという特徴もあります。すべての条件を満たす理想的な相手はなかなか存在しません。その中で「何を優先し、何を受け入れるか」を決める必要がありますが、このときに人生設計があるかどうかで、意思決定のスピードと質が大きく変わります。


 税理士事務所のM&Aでは、譲渡後に一定期間の現役続行期間を設け、引継ぎや関係構築を行った上で、その役割を終えた後に現場を離れる(引退する)ケースが一般的です。したがって、税理士事務所のM&Aの検討においては、引継ぎ期間の設計とあわせて、その後の引退後の時間をどのように過ごすかまで視野に入れておくことが重要になります。この引退後のイメージによって、同じ条件であっても評価の仕方は変わります。


 例えば、仕事から完全に離れた生活を望む所長であれば、引継ぎ期間終了後に責任や関与が残らないかどうかを重視することになります。


 一方で、生活の中に適度な社会との接点を持ちたいと考える所長であれば、無理のない範囲で関係性を持てる余地をどのように評価するかがポイントになります。


 また、若手税理士の育成や業界への貢献といった観点を重視する場合には、自身が現場を離れた後も、その考え方や方針が組織に残るかどうかが判断材料となります。


 このように、税理士のM&Aにおいては、引退後のイメージを持つことで、同じ条件でも見え方や優先順位が変わってきます



 では、税理士事務所が納得のいくM&Aを実現するためには、具体的にどのような準備が必要なのでしょうか。その出発点となるのが、「引退後のイメージの言語化」です。


 難しく考える必要はありません。まずは自分がやりたいことを書き出すところから始めます。例えば、「趣味に時間を使いたい」「家族との時間を増やしたい」「海外で生活してみたい」「別の分野に挑戦したい」など、どんな内容でも構いません。税理士として忙しい日々を送ってきたからこそ、この作業には大きな意味があります。



 重要なのは、それを具体的にすることです。「どのくらいの期間」「どの程度の費用」「どんな生活スタイル」といった形で整理していくと、徐々に現実的なイメージが見えてきます。


 ここで一つのポイントになるのが、「必要なお金」と「働き方」の整理です。例えば、引退後に必要な資金が明確になれば、M&Aにおける最低限の譲渡価格の目安が見えてきます。また、どの程度働き続けたいのかによって、契約条件の優先順位も変わります。この整理は、所長にとって非常に実務的であり、同時に意思決定を大きく支える要素になります。


 このように、引退後のイメージを明確にすることで、M&Aの交渉においても一貫した判断ができるようになります。税理士としての経験を活かしながら、自分自身の人生にも責任を持つ。この姿勢が、後悔のない選択につながります。


 もちろん、税理士事務所のM&Aを進めるうえで、引退後の人生設計を必ずしも明確に描いておかなければならないというわけではありません。しかし、あらかじめ「その後どのような人生を送りたいのか」を考えておくことで、譲渡価格や引継ぎ期間、譲渡後の関わり方など、さまざまな場面で判断軸が明確になります。


 さらに重要なのは、この準備を「早めに始めること」です。多くの所長が、実際に体力や健康に不安を感じてからM&Aを検討し始めます。しかし、その段階では時間的な余裕がなく、十分な検討ができないまま決断を迫られるケースも少なくありません。


 理想的なのは、まだ余力がある段階で検討を始めることです。そうすることで、複数の選択肢を比較し、自分にとって最も納得できる形を選ぶことができます。結果として、税理士としてのキャリアの締めくくりも、より前向きなものになります。


 所長にとって、事務所は単なる事業ではなく、長年の努力の結晶です。その価値を最大限に活かすためにも、「終わり方」を戦略的に考えることが求められます。


 税理士事務所のM&Aは、決して引退の終着点ではありません。それは新たな人生のスタート地点です。税理士としてのキャリアをどのように締めくくり、その先にどのような人生を描くのか。この機会に、一度考えてみてはいかがでしょうか。



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