会計法人を活用した税理士事務所のM&Aの現実
- 小杉 啓太

- 7 時間前
- 読了時間: 7分
売上1億円・事業所得2,500万円の個人の税理士事務所を年間の売上相当額1億円で譲渡し、一括で譲渡対価を受け取った場合、この1億円は雑所得として総合課税の対象になります。累進税率に加えて住民税や社会保険料まで考慮すると、実際の手取りは売却額の半分以下にとどまる可能性が高くなります。高収入帯ほど税率が上がるため、出口で一時的に多額の所得を計上する個人事業主ほど負担は重くなりがちです。
これに対し、会計法人として事務所を運営している場合は、オーナー個人が株式を譲渡する形をとることができます。株式譲渡益には原則として申告分離課税が適用され、概ね20%前後の税率で済むため、売却額の約8割が手元に残る水準が期待できます。同じ1億円の譲渡対価でも、個人事業(税理士事務所)売却と株式譲渡では、最終的な資産形成に数千万円単位の差が出ることも珍しくありません。この意味で、会計法人を活用した出口戦略は、数字上は非常に魅力的です。
会計法人と個人の税理士事務所を併用するスキームでは、顧問契約を会計法人側で締結し、個人事務所は会計法人からの外注を受ける立場に置く形が典型例となります。顧問先との契約や請求・入金は会計法人で完結し、所長税理士の個人的な収入は、役員報酬ないし外注費として個人(所長税理士)側に流れる構造です。こうしておくことで、顧問先は法人に紐づき、個人の税理士事務所側はあくまで役務提供者という整理がしやすくなります。
先の例を踏まえると、売上1億円のうち9,000万円を会計法人、1,000万円を個人の税理士事務所に割り振り、売却額も同じ比率で配分することは、経済実態から見ても妥当と考えられます。このケースでは、会計法人分9,000万円には株式譲渡課税が適用され、個人の税理士事務所分1,000万円は雑所得として総合課税されるイメージです。さらに顧問契約がすべて会計法人側に集約されていれば、実務としては会計法人のみを1億円で売却し、M&A実行後は譲受(買い手)側の税理士事務所が外注を受ける形に切り替えることも可能です。こうした設計がうまく機能すれば、税務効率の高いスキームを比較的シンプルな手続きで実現できます。
一方で、譲受(買い手)側の実情を踏まえると、会計法人の株式そのものを欲しがるケースはそれほど多くありません。譲受(買い手)側となる事務所は、すでに自前の会計法人やコンサル会社を保有していることが一般的であり、その法人内に職員を在籍させる体制も整えています。既存の法人インフラが整っているため、新たに法人を増やさなくても、譲受した顧問先や人材をそのまま組み込める下地ができているのです。
その結果、譲受(買い手)側が本当に欲しているのは、「法人という箱」ではなく「顧問先・人材・ノウハウ」といった実質的な事業内容であることが多くなります。新しい法人を取得すると、登記や銀行・届出関係などの事務負担も増えるうえ、グループ全体の管理が煩雑になるため、あえて法人ごと引き継ぐ必然性を感じないというのが率直な本音です。譲渡側がどれだけ株式譲渡の税務メリットを強調しても、譲受(買い手)側にその法人を維持するインセンティブが乏しければ、交渉はかみ合いにくくなります。
譲受(買い手)側が会計法人の株式取得に慎重になる最大の理由は、法人ごと引き継ぐことで管理とリスクが同時に増える点にあります。まず、単純に法人の数が増えると、決算・申告・社保手続きなどのバックオフィス業務が増加し、グループ管理の負荷が高まります。いずれはグループ内での合併や清算を検討せざるを得ない場面も出てきますが、その際には専門家報酬や社内工数といった追加コストも発生します。
さらに、株式譲渡は貸借対照表上の資産・負債を丸ごと承継する形になるため、目に見えないリスクも抱え込むことになります。過去の申告内容に起因する税務調査リスク、未払残業代や退職給付などの潜在債務、顧問契約の条件やコンプライアンス状況といった法務面の課題など、デューデリジェンスで完全に洗い切れない事項も少なくありません。こうした不確定要素を含んだ法人を引き受けるよりも、顧問先の契約や従業員だけを自社法人に移す「シンプルな承継」を好む譲受(買い手)側が多くなるのは自然な流れと言えます。
M&Aの現場では、譲渡側である税理士が「できれば株式譲渡で売りたい」と希望する一方で、譲受(買い手)側がそれを積極的に受け入れるケースは意外と多くありません。多くの案件では、顧問先・人材・一部の資産を既存法人に移管する形が選好され、会計法人そのものの株式譲渡は例外的な位置づけにとどまります。譲渡側が想定する「理想的な税務スキーム」と、譲受(買い手)側が求める「シンプルでリスクの少ない承継」のあいだに、構造的なギャップが存在しているのです。
実務上は、このギャップをどう橋渡しするかが重要なテーマとなります。たとえば、将来の法人清算を前提に譲渡対価や税負担の分担をあらかじめ調整する方法など、両者の利害を擦り合わせる工夫が必要です。譲渡する税理士事務所側としては、出口時の税務メリットだけでなく、実際に想定される譲渡先像やそのニーズを踏まえ、あらかじめ「落としどころ」を設計しておくことが求められます。
結局のところ、会計法人を活用した株式譲渡は、譲渡側にとっては非常に魅力的な選択肢である一方、譲受(買い手)側にとっては慎重にならざるを得ない要素を多く含んでいます。親族内承継を予定しておらず、将来的に第三者へのM&Aを視野に入れている所長税理士は、顧問契約の名義や法人と個人(税理士事務所)の役割分担、譲受(買い手)側から見た法人の扱いやすさといった点を、早い段階から意識しておく必要があります。
出口戦略の成否を左右するのは、数字上の税務メリットだけではありません。実際に譲受(買い手)側が何を望み、どこにリスクを感じるのかという「相手のリアル」を織り込んだうえで、自事務所の組成や契約の持ち方をデザインしておくことが、最大の手残りとスムーズな承継の両立につながっていきます。特に、多くの譲受(買い手)側はすでに自前の会計法人等を保有し、職員を既存法人に在籍させる体制が整っているため、「新たな法人を一つ増やす」必要性を感じにくく、実際には顧問先と人材さえ引き継げれば十分と考える傾向が強い点を踏まえるべきです。
さらに、法人ごと引き継ぐ場合には、グループ内での決算・申告・社会保険・労務管理といった事務負担の増加や、将来的な合併・清算の手間、貸借対照表上の資産・負債に加え過去の契約や潜在的な税務・法務リスクまで承継することへの懸念が生じます。こうした背景から、「税務的には株式譲渡がベストだが、譲受(買い手)側の本音はシンプルな事業譲渡を望む」という構図が生まれるため、親族内承継が難しい税理士は「いつかどこかで譲渡する」ことを前提に準備を進める発想が重要になります。
具体的には、顧問契約の名義を会計法人に集約しつつ、法人の貸借対照表をできるだけシンプルに保ち、余計な資産やリスクを抱え込ませないことがポイントです。これに加えて、譲受(買い手)側・顧問先・職員という三者の視点を税務と同じレベルで重視し、業務フローや担当者情報の見える化、契約・料金体系の標準化、代表への過度な依存の解消といった内部整備を進めておけば、どのスキームを選ぶ場合にも有利に働きます。
最終的には、「譲渡側の税務メリット」と「譲受(買い手)側の引き継ぎやすさ」のあいだに現実的な落としどころを用意することが不可欠です。当初は株式譲渡を軸に交渉しつつ、譲受(買い手)側が法人ごとの承継に難色を示す場合には、事業譲渡への切り替えや一定期間の移行措置をあらかじめ想定しておく、といった柔軟性が求められます。事業承継とM&Aを別々のテーマではなく、一つの時間軸上に並ぶ選択肢として捉え、「税務上の最適解」と「現場で本当に成立する解」の両方を見据えた準備を重ねていくことが、これからの税理士事務所にとっての実践的な考え方と言えるでしょう。




コメント