M&A前に事務所の体制整備は必要なのか
- 大竹 邦明

- 7月2日
- 読了時間: 7分
税理士事務所のM&Aが近年ますます増加するなかで、
「そろそろ自分の事務所も将来的にM&Aを」
とお考えになる税理士事務所の所長も増えています。
一方で、M&Aを進める前に
「まずは業務マニュアルを整備しなければ…」
「所内体制を整えてからでないと…」
と考えてしまい、実際には何年も何も進まないまま時間だけが経過してしまうというケースが後を絶ちません。
本記事では、「M&A前に税理士事務所の体制整備が必要か?」というテーマについて、税理士事務所の実態やM&Aの進め方、そして買い手事務所側の目線も踏まえて、所長が持ちがちな誤解を解きほぐします。事務所のM&Aを円滑に、そして効果的に進めるために、正しい「事前準備」のあり方を考えていきましょう。
【1.将来自事務所のM&Aを考える所長の誤解】
税理士事務所のM&Aをご相談いただく中で、所長税理士の方からよく出てくる言葉があります。それは、
「マニュアルやルールなどをまず整備してからでないと、M&Aは進められませんよね?」
というものです。
お気持ちは非常によく分かります。税理士事務所のM&Aにおいては、買い手側にしっかりと業務を引き継ぎ、職員や顧問先にも混乱がないようにしたいという所長の誠実な想いの現れでもあります。
しかし、この考え方には大きな誤解があります。そもそも「マニュアルを整備できていなかったから、今の状態がある」わけであり、それを60代や70代の今から一人で整え直すことは、体力・時間・集中力の面から見ても非常に難しいことが多いのが実情です。
そして、最大の誤解は「マニュアルを整えたらM&Aがうまくいく」という思い込みです。実際には、ほとんどの税理士事務所ではマニュアルなんて存在しておらず、職員の経験と慣習、所長の判断でなんとか業務を回しているというのが実態でしょう。特に小規模事務所や個人事務所においては、業務の属人性が高い状態が99%を占めていると言っても過言ではありません。
つまり、マニュアルが整備されていなくても、税理士事務所のM&Aは十分に可能です。弊社が支援してきた多くのM&A事例でも、マニュアルが整っていた事務所の方がむしろ稀です。それでもM&Aは問題なく進み、承継後に安定運営されているケースが大半です。
「整備してからでないと進められない」と思っているうちに、所長ご自身が病気になってしまったり、職員が退職してしまったり、外的なリスクによってM&Aそのものが進められなくなる可能性もあります。今できる一歩を踏み出すこと、それが何よりの事前準備と言えるのです。
【2.事前準備をしても意味が無い理由】
前述のように、マニュアルが整備されていない状態でも税理士事務所のM&Aは進行可能です。では、マニュアル整備などの“事前準備”は本当に意味が無いのでしょうか?
ここでは、実際に事前準備をしてもそれが実を結ばない理由を、買い手事務所の目線と職員の目線の2つに分けてご説明します。
① 買い手事務所の目線から見た場合
買い手となる税理士事務所は、M&Aを通じて新たな支店や拠点を得ることで、全体の運営効率を高めようと考えています。そのため、導入するクラウド会計ソフト、グループウェア、顧問先との連絡ツール、チェック体制などを事務所全体で標準化しようとするのが普通です。
したがって、売却側の税理士事務所が「独自のマニュアルを完璧に整備しておきました」としても、それが統合後すぐに廃止・変更されてしまうケースは多々あります。どれほど労力をかけて整備しても、M&A後には活用されない。これが現実です。
② 職員の目線から見た場合
職員にとっても、突然「マニュアルを整備するぞ」と言われると違和感を覚えます。特にM&Aの話がまだ伏せられている段階では、「なぜ今さら?」という不満につながる可能性もあります。
さらに、やっとの思いで整備を完了したとしても、M&Aが成立した途端にそのマニュアルが破棄され、買い手事務所のマニュアルに置き換わるとなれば、職員のやる気や信頼感を損ねる結果にもなりかねません。
それよりも、M&Aのタイミングで「新しい体制に合わせてマニュアルを整備していこう」「相手方事務所に優れた運用方法があるなら、それを取り入れていこう」とする方が、職員にとっても納得感があり、自然な流れとなります。
つまり、税理士事務所のM&Aにおいて、体制整備を「M&A前にやるべき事前準備」と捉えるよりも、「M&A後に実務レベルで調整していくべき取り組み」として位置づけるほうが現実的かつ合理的です。
【3.経営統合・承継時は相手方事務所の力を借りる】
ここまで、税理士事務所のM&Aにおいて「事前準備」としての体制整備が必ずしも必要でないことをご説明しました。では、ではM&Aの進行中や実行後には、どのように体制を整えていけばよいのでしょうか。
答えはシンプルで、「相手方税理士事務所の力を借りる」という姿勢に尽きます。
税理士事務所同士のM&A、特に買収後に譲渡側が税理士法人の支店となるようなケースでは、買い手事務所が持つ管理体制・業務フロー・チェック体制・労務管理・教育制度などが段階的に導入されていくことが一般的です。
そのため、体制を一から作り直す必要はありません。むしろ、相手事務所のノウハウやシステムを取り入れることで、スムーズに業務効率化が図れ、職員にとっても納得感が高まります。
ここでひとつ重要な考え方があります。それは、M&Aは“相手の力を借りながら、次のフェーズを築く”という行為であるということ。買い手の税理士法人が持つ体制は、長年の実務経験や改善を積み重ねて作り上げられたものです。これを活用しない手はありません。
とはいえ、「相手のやり方を押し付けられるのでは?」と心配する所長もいらっしゃるかもしれません。
しかし、実際のM&Aにおいて、買い手側の税理士法人が、売主である所長を「サラリーマンのように扱いたい」と考えているケースはほとんどありません。むしろ、「現所長には引き続き所長として現場を見てほしい」「顧問先との関係を維持してほしい」と考えることのほうが圧倒的に多いのが実情です。
つまり、承継後も一定期間は現役で事務所を任され、日常の業務やマネジメントを継続できる環境が整っているケースが一般的です。その中で、相手法人の体制を徐々に取り入れつつ、事務所を「次の体制」に自然に移行させていく形が、理想的なM&Aの進め方と言えるでしょう。
さらに重要なのが、「承継計画」を立てることです。
税理士事務所のM&Aでは、譲渡対価が営業権として認められず、雑所得として課税されることが一般的です。これは過去の判例からも明らかになっており、安易にM&Aを行うと高い税率が適用され、手取りが大幅に減ってしまうケースもあります。
たとえば、倒産防止共済を解約したタイミングとM&Aの譲渡収入が重なってしまった場合、最高税率で課税されることもあり、事務所を手放したのに資金が残らないという事態に陥りかねません。
これを回避するためには、60代の健康なうちにM&Aを実行し、譲渡後も5年以上の在籍期間を確保することで、譲渡対価を「退職金」や「役員報酬の上乗せ」として段階的に受け取る方法を取る必要があります。この方法なら、退職所得控除の適用が可能となり、税負担を大幅に軽減できます。
つまり、税理士事務所のM&Aでは、体制整備の“事前準備”よりも、「正しい理解と戦略的な承継計画」が何よりも重要なのです。
【4.まとめ】
税理士事務所のM&Aを考える所長にとって、「体制整備をしてからでないと進められない」という考えは、大きな誤解です。実際には、ほとんどの税理士事務所は属人性が高く、マニュアルが整っていない状態でM&Aが進められており、問題は起きていません。
そして、事前準備としてマニュアルを急ごしらえしても、買い手事務所の運営方針により変更されてしまうことが多く、職員の混乱を招くリスクすらあります。
むしろ、M&Aを機に新たな体制へとスムーズに移行するためには、相手方事務所の力を借りることが不可欠であり、またそれが前提とされています。そして、譲渡後も継続勤務する期間を確保しつつ、譲渡対価の受け取り方を工夫することで、税務面でも有利な設計が可能となります。
税理士事務所のM&Aにおける最大の「事前準備」は、“体制整備”ではなく、“正しい情報と計画をもとに、早めに動くこと”です。時間と選択肢があるうちに、ぜひ前向きな第一歩を踏み出してください。
KACHIELでは、税理士事務所のM&Aに関する正しい知識提供から、承継計画の設計、税務対策のご相談まで一貫した支援を行っています。お気軽にご相談ください。




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