税理士法人における「社員」と「従業員」の責任はどう違う?──制度が抱える法人運営上のリスク
- 小杉 啓太
- 8月12日
- 読了時間: 6分
税理士法人を経営・運営するにあたって、意外と見落とされがちな論点が「社員」と「従業員」の違いです。ここでいう「社員」は、法人の出資者であり、業務執行の責任を負う「税理士法人の社員(いわば経営者)」を指します。一方で、従業員とは、雇用契約のもとで働く職員や補助者です。両者の立場は根本的に異なりますが、現場ではしばしば混同されたまま業務が進められ、後々、法人運営上の大きな支障となるケースも少なくありません。
1.社員は“使用人”ではない──その責任の重さ
税理士法人の「社員」は、税理士であることが必須です。しかも、社員になることで、単に役職が変わるだけではなく、「法人の業務執行に関する責任を負う」立場に変わります。
たとえば、税理士法人の業務に関して損害が発生した場合、業務執行社員は民法上の責任や損害賠償責任を問われる可能性があります。これは従業員と比べて大きな違いであり、「たまたま社内で信頼されているから社員に昇格」といった感覚での人事は非常に危険です。
また、税理士法人の社員は業務執行権を持つだけでなく、法人の意思決定機関である「社員会」に出席する義務があり、議決権も保有します。つまり、法人の経営判断に法的にも責任を負う立場なのです。
2.従業員は“指揮監督のもと”で働く存在
これに対して従業員(たとえば所属税理士や事務職員)は、法人と雇用契約を結んだ「使用人」です。業務の遂行は法人または社員の指揮命令によって行われ、成果や業務執行の責任は最終的に法人、ひいては社員が負います。
たとえ従業員が重大なミスをしたとしても、法人の外部から見れば、その業務を執行したのは法人であり、責任は法人に帰属します。したがって、社員は従業員の業務リスクについてもカバーしなければならない場面が出てきます。この構造が意味するのは、「法人の看板を背負って業務を行っているのは社員であり、法人の責任も社員が最終的に背負う」ということです。
3.なぜ「社員=従業員上がり」が問題になるのか
地方の税理士法人や比較的規模の小さい法人では、長年の勤務実績や所内での信頼をもとに、従業員から社員への昇格が行われることがあります。しかしここには大きな落とし穴があります。
一つには、責任に対する認識のズレです。従業員としての意識が抜けないまま社員となった場合、「経営者としての義務や責任」に対する自覚が不足する可能性があります。
もう一つは、意思決定の混乱です。従業員時代の感覚で業務に参加し続けると、経営判断に対しても無責任な発言や態度が目立ち、社員間の信頼関係が損なわれます。これは社員会の決議や業務方針の策定に深刻な影響を及ぼし、法人全体の統制が取れなくなる原因となります。
また、いったん社員に加わると、その脱退や持分の払戻しには大きなエネルギーが必要です。つまり「社員としての適性がない」と判明した後では手遅れになりがちで、法人内に火種を抱えることになります。
4.社員の“連帯責任”構造が法人経営を圧迫する
税理士法人は、法人として登記されていても、その責任構造は株式会社とは異なります。とくに、業務執行に関しては社員が個別に責任を問われる場面があり、最悪の場合、社員全員が連帯して賠償責任を負うケースもあり得ます。
たとえば、ある社員の業務過誤によって顧客に損害が生じた場合、その社員だけでなく法人全体、ひいては他の社員も責任を追及される可能性があります。これは税理士法人に特有の「専門職業務に基づく責任の集中構造」が原因で、社員という立場が持つリスクの高さを物語っています。このような背景から、社員選定の判断を誤ると、法人全体に甚大な悪影響が生じる恐れがあるのです。
5.社員間の信頼が揺らぐと、法人はどうなるか
税理士法人においては、法人の最終的な意思決定は「社員会」で行われます。これは株式会社における株主総会や取締役会に類似するものですが、社員同士は出資者であると同時に業務執行者でもあるという点で、より密接な関係にあります。
ところが、社員間に意見対立が生じると、法人のガバナンスは急速に機能不全に陥ります。とくに以下のような状況では深刻です。
このような状態が続くと、法人としての意思決定が滞り、職員や顧問先にも悪影響が及ぶのは避けられません。社員がわずか2~3名で構成される法人においては、1人の不和が組織全体に及ぶダメージが非常に大きいのです。
6.社員の除名は現実的に可能か?
信頼関係が破綻した社員に退いてもらえばいい──そう考える方もいるかもしれません。しかし、現行の税理士法人制度では「社員の除名」は極めて困難です。社員を除名するには、定款上の定めがある場合を除き、基本的には裁判所の除名判決が必要になります。これは、社員の持分(出資)が財産権に当たるため、正当な理由なく排除することができないからです。
仮に定款に除名条項があっても、「具体的に何をしたら除名になるか」が明確でなければ、争いの種になります。実際、法人内での対立から除名を試みたものの、裁判沙汰に発展した例もあります。
このように、社員間の関係が悪化しても、簡単に「辞めさせる」ことはできません。それどころか、辞めてもらうために法人が退職慰労金を支払ったり、持分の買取交渉を行ったりと、多大なコストを要することになります。
7.「社員制度」の限界──中小法人ほど構造的に脆い
税理士法人という仕組みは、一定以上の規模で、明確な分業とガバナンス体制が整っていれば、うまく機能します。しかし、多くの中小規模の税理士法人では、下記のような構造上の課題を抱えています。
そのため、一度トラブルが発生すると収拾がつかなくなりやすいのです。
また、定款や社員間契約が不備だった場合、責任分担が不明確で「誰も責任を取らない法人」になってしまうこともあります。そうした状態では、職員の定着や顧問先の信用維持も困難です。
8.M&Aという選択肢──社員制度リスクからの脱却
こうした制度上のリスクや経営不全を回避・解消する方法のひとつが「M&A」です。具体的には、次のようなケースでM&Aが現実的な選択肢となります。
M&Aによって他法人に経営権を移すことで、現経営陣が抱える責任や内部対立の火種を整理することができます。また、M&A後に社員を退任し、業務委託契約などに切り替えることで、責任リスクを軽減した働き方を選ぶことも可能です。とくに、社員間で信頼関係の再構築が見込めない場合には、いったん外部のガバナンスを導入するという意味でも、M&Aは有力な打開策といえるでしょう。
9.社員制度の歪みは早期に対処を
税理士法人における「社員」と「従業員」の責任の違いは、表面的には理解されていても、実務運営において深く意識されているとは限りません。そのため、制度上のリスクが見えづらく、法人が“静かに腐っていく”原因となります。
社員制度に関する運営上の問題は、当事者だけでの解決が難しいケースが多く、外部専門家の介入や法人の再編(M&A)といった抜本的対策が求められる場面も少なくありません。「信頼できる仲間で始めた税理士法人」が、制度設計や責任分担の甘さから破綻する──そんな事態を避けるためにも、早い段階で制度の見直しと選択肢の検討をおすすめします。

